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[ 77] 吉岡とは! 吉岡秀隆 - Wikipedia
【参考サイトURL】  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B2%A1%E7%A7%80%E9%9A%86

5歳で劇団若草に所属し間もなくテレビ時代劇『大江戸捜査網』でデビュー。1977年、野村芳太郎監督の『八つ墓村』で萩原健一演じる主人公・寺田辰弥の少年時代役を演じ、映画初出演。その後『遥かなる山の呼び声』の武志役オーディションで山田洋次監督に見出され、『男はつらいよ』第27作「浪花の恋の寅次郎」から最終作と特別篇まで寅次郎の甥・満男役でレギュラー出演した。渥美清が病気になり派手な演技が出来なくなってからは彼演じる満男を主役にしたサブストーリーが作られた。
1981年より2002年までフジテレビの看板シリーズだった『北の国から』にも黒板純役でレギュラー出演。その後も山田洋次監督や『北の国から』製作スタッフ出身の監督・脚本家の作品を中心に数多くのドラマや映画に出演し、またCMのナレーション等声の仕事も増えている。
体の線が細く、それもあいまって繊細な演技が持ち味。若いころは、思い悩む青年を演じさせると右に出るものはいなかったほど。芸能人でありながら、ほぼ一般人に近いイメージを持つ。普段も見たままの物静かな性格であるが、小さい頃から黒澤明や山田洋次、杉田成道など厳しい事で有名な監督らと仕事をしているためか『良い作品』を作る意識が人一倍高いらしく、撮影に入るととても熱くなると言われている。 また、トーク番組などにはほとんど出演したことがなく、現在は数少なくなった本格派の俳優と言える。だが、たまに出演するドラマのメイキングドキュメントなどでは、明るい一面も見せている。
2002年に『北の国から2002遺言』で共演した元歌手・女優の内田有紀と結婚し、『北の国から』の舞台・富良野市での挙式が話題になったが、2005年12月21日に離婚。わずか3年の結婚生活だった。華やかな内田に吉岡の性格が合わなかったとも、長期ロケが多い吉岡の生活に内田がついていけなかったことが理由とも言われている[要出典]。
歌手でもあり、映画『ラストソング』で演じた一矢の歌った「ラストソング」は彼自身の作詞作曲である。しかし映画のヒットもあり47万枚以上を売り上げたシングル『ラストソング』が彼の歌手デビューだったわけではなく、1976年に『山口さんちのツトム君』人気を受けて制作されたアルバム(パパ役が田中星児、ママ役が小鳩くるみで、ツトム君役が吉岡秀隆)の中で彼も『山口さんちのツトム君』を歌っている。
『ラストソング』撮影の際、監督の杉田成道から、「ギターを練習しろ」と言われ練習していると、今度は「だったら曲を作れ」と言われ戸惑いながらも作った曲が、他の候補曲を退け主題歌、劇中歌として使われた。杉田は、「吉岡の歌がせつなくて心に響くいい歌なのを知っていたので、彼に作詞・作曲もしてもらいました」と語っている(『キネマ旬報』2005年 11月下旬号より)。
『四日間の奇蹟』に出演した際には、『北の国から』のイメージが強いことから原作で雪山のシーンだった部分を、映画では海辺に変更されている。監督曰く、雪山に吉岡がいると黒板純になってしまうからということらしいが、吉岡本人は「海辺ではコトーになってしまうと思う」と語っている。
『男はつらいよ』での共演者たちを慕っている。倍賞千恵子とは今でもつきあいが深く特技のマッサージをよく頼まれるという。また『ALWAYS 三丁目の夕日』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を獲った際の受賞コメントで、渥美清に感謝の言葉を述べている。
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